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風間:今回は大好きな『蒲田行進曲』を語る企画ということでワクワクしていました。
平田:またお会いできてうれしいです。『蒲田行進曲』から40年以上経って、同窓会の企画が持ち上がるなんて、ありがたい限りですし心からうれしく思っています。
松坂:風間さんと平田さんのお話はいつも味わい深くて面白いので、今日もいろんな楽しいお話が聞けそうだなと、楽しみにしていました。風間さんはよく当時のことを覚えているのよね。
平田:風間さんがいちばんよく覚えていますね。
風間:いろいろなところで当時の話をしてほしいと言われて、披露することがよくあるんです。でも、僕の話は尾ひれがずいぶんついているかもしれません。(笑)
松坂:深作監督は、ちょっと水戸弁で……。
平田:ちょっとどころか、かなりアクセント強かったですよ(笑)。U字工事さんのような話し方といえばわかりますかね。
風間:水戸弁というか、水戸なまりの関西弁を使っていて。
平田:そうそうそう! 監督がそのしゃべり方だったから、スタッフ同士が和気あいあいとしていて、ああだこうだと激論を交わしていても、監督の水戸なまりの関西弁でまとまったんだと思います。
風間:深作監督は、とにかくタフな方でしたね。撮影後にマージャンに誘われて夜な夜な付き合わされたこともありました。深作監督は「麻雀で負けたことがない」と言っていたのだけど、監督が勝つまでやるから「負けたことがなかった」わけで(笑)。
平田:僕と風間さんはもともと『蒲田行進曲』を舞台でやっていて、銀ちゃんは風間さんが演じていましたが、ヤス役は柄本明さんだったんです。監督に「舞台通りにやってくれ」と言われて、僕は柄本さんの演じるヤスになるように芝居をしていました。
風間:僕と平田くんは監督から「舞台通りにでかい声でやってくれ」と言われたのだけど、録音部さんからは「こんなにでかい声でしゃべる役者は初めてだ。怒鳴っているじゃないか。針が振りきれちゃうよ」と言われた覚えがあります。
松坂:深作監督というと「仁義なき戦い」シリーズを撮った監督だから、怖そうな方じゃないかと思われるのだけど、そんなことはなくて、とにかく優しい方だったよね。
風間:僕ら若い役者の名前も一人ひとり覚えて、声をかけてくださって、気遣いの人でもありました。深作監督が亡くなられる少し前に、僕と平田くんが共演していた芝居に、おひとりで訪ねてこられたことがあったんです。だいぶお加減が悪かった時期ではないかと思うのだけど、楽屋にいらしてくださって、僕も平田くんも恩師に会ったような感じで、正座して背筋を伸ばして監督の話を聞いた覚えがあります。そういえば、映画『蒲田行進曲』のラストで、小夏が赤ん坊を産んで、ヤスも無事でめでたしめでたしの場面で「カーット!」と叫んだ声は深作監督の声ですね。
松坂:小夏はひとつの役柄と捉えていたのですが、いま『蒲田行進曲』を見ると、小夏の人生に私の人生のほとんどが入っているなって思うんです。女優として生きていた私と、結婚して「毎日が日曜日!」といった感じで、日々の小さな幸せをかみしめて生きていた私と、その両方が小夏にはあって、私の将来を予知するような役だったんだなって、いまになって運命を感じますね。
風間:ヤスが銀ちゃんに対して「銀ちゃんカッコいい!」って言いながらも、「あいつのせいで何でおれがこんな目にあわなければいけないんだ!」という愛憎の思いを抱くのだけど、あの感情は僕個人がつかこうへいという人に対して抱いていたものと同じなんです。「つかさんカッコいい!」という思いもあるのだけど、「なんであいつにこんな思いをさせられなくちゃいけないんだ」という気持ちになったことも多々ありました。僕にとってのつかさんが銀ちゃんで、僕はヤスだったなあと思います。
平田:『蒲田行進曲』は僕にとって空前絶後の作品です。『蒲田行進曲』があるからいまの僕があるわけで、それ以前にもあんな経験をした映画はなかったし、その後もそうそうなかったなと思います。いろいろなものが詰まっているんですよね。いろいろな人の思いも、いろいろなあの手この手も詰まっている映画だなと思います。
松坂:撮影が始まって2週間くらい経って、それまで収録した分をラッシュという形で試写を見たときに、きらきらと光る風が吹いたような印象を受けて、新しい映画になりそうだと感じた覚えがあります。
風間:ラッシュのとき、たしか角川春樹さんだったと思うのだけど「役者の熱気が初めてフィルムに焼き付けられた」とおっしゃっていて、その言葉が記憶に残っています。画期的な作品だったのでしょうね。
松坂:そういえば深作監督が、「映画の熱気は、現場が10あったとしても、10は映し出されない」とお話されたことがあって、そのときに私も、熱気が10あっても映るのは7くらいになっちゃうのかもしれないなって思ったんです。角川さんのそのお言葉からすると、『蒲田行進曲』は熱気が10、全部出たのかもしれないわね。初めて熱気が10焼き付けられた映画ができて、深作監督もうれしかったでしょうね。
平田:やっているほうはいっぱいいっぱいだったけど、やってて楽しかったですね。おっしゃるように撮影所自体、熱気がありました。クランクアップしたときはほっとしましたし、出し尽くしたなという感覚がありました。正しくは、深作監督に出し尽くしていただいたわけですが。
松坂:クランクアップしたときには、東京に帰るときに淋しく思うだろうなって感じた記憶があります。東映京都撮影所は『青春の門』(1981年)でもお世話になったのだけど、もともと私は松竹出身だから最初のうちは借りてきた猫みたいにおとなしくしていたんです。東映京都撮影所は結髪さんをはじめ、スタッフは皆さん迫力があって緊張感があって、そんな中で当時の東映撮影所の所長だった高岩淡さんにはいろいろとお世話になりました。高岩さんは人格者でいらっしゃって、笑顔にさせてくださる太陽のような方だったんです。撮影するうちに高岩さんをはじめ、スタッフの皆さんとも花見小路にあるお店に連れていってもらって、歌を歌ったりして……。カラオケに行ったの私だけだったっけ?
平田:そんな余裕はありませんでしたよ(笑)。
風間:僕は、撮影がオールアップしたときに、「今日は俺がおごるぞ!」って言って、つかこうへい事務所の共演仲間を餃子の王将に連れていきました。「好きなもの食っていいぞ!」って言ったものの高が知れていて、安上がりでせこい銀ちゃんを地で行ったんです(笑)。それから車で、京都から東京まで役者仲間と交代で運転して帰りました。
平田:風間さんは車で京都に来ていたんですよね。撮影中は宿舎のホテルから撮影所まで、毎日風間さんの車に乗せていただいて、その節はありがとうございました。
風間:劇中、銀ちゃんの部屋に飾ってあった等身大の土方歳三のパネルが登場するのだけど、あのパネルを大道具さんが記念に下さるというので、京都から東京までの帰り道は、車の屋根に積んで持って帰りました。いまも僕の部屋に飾っています。
松坂:昨年、NHKのドラマ『一橋桐子の犯罪日記』を撮影していたときに、女性の助監督さんから「ここにいるスタッフはみんな『蒲田行進曲』を観ています」って言われました。その言葉を聞いて、エンターテインメントの世界で生きていく若者もベテランも『蒲田行進曲』を観ていて、改めてバイブルのような作品なんだなって感じたんですよね。そして今回お二方とお話して、『蒲田行進曲』に出演していた私たちにとって、この作品は40年以上経っても、色褪せない思い出を持ち続けることができる唯一無二の映画だなと実感しています!
松坂:生活の場である東京を離れて京都での撮影で、東映の撮影所も映画好きの人の集まりだったから、映画の世界に集中しやすいシチュエーションでしたね。
風間:まだ映画会社の五者協定の名残があった時代につくられた映画なのだけど、松竹の配給なのに東映の撮影所で撮って、出演者も東映所属の俳優が多いという、奇妙な作品でした。
松坂:舞台を主戦場としているおふたりとは初共演で、クランクインする前に、平田さんの出演する舞台を拝見したんです。テンションが高くて、清濁併せ持ったような、それまでに見たことがないようなパワフルな芝居を展開していて、なんて強烈な作品なんだろうって思ったのだけど、映画の撮影に入ったら一転、ふたりとも物静かで思慮深くて、静と動のふり幅の大きさにびっくりさせられました。
風間:『蒲田行進曲』の映画で銀ちゃん役に決まったことは、つかこうへいさんから言われたのだけど、つかさんは眉唾のところがあって前言撤回することもよくあったから、撮影が始まるまで、本当に銀ちゃん役を演じることになるとは思っていなかったんですよね。
平田:僕もつかさんからヤス役と言われたけど、信じていませんでした。
松坂:そうだったの!?
風間:だから本当に映画の出演が決まったときは、つかさんから「この映画で人生が変わるぞ」って言われたし、撮影が始まってからはプレッシャーがきつくて仕方なかったですね。
松坂:撮影中は、ディレクターズチェアをふたつ並べて、風間さんと平田さんはふたり仲良く、おとなしく座っていた印象が強いのだけど……。
風間:キャスティングは二転三転して、僕と平田くんが出演することになったのだけど、僕らは舞台俳優で映画の世界はアウェイだったし、あまり社交性がなくて、『蒲田行進曲』には僕らと同じつかこうへい事務所の仲間が何人か出ていたので、何かというと彼らと一緒になって行動していました。
平田:いまでこそ松坂さんとお話しできるようになりましたが、当時は、雲の上の存在でしたから、こちらから何か話しかけるなんてとんでもないと思っていましたし、松坂さんは近眼でいらっしゃるから、目ざとく僕らを見つけるということもなく(笑)。
松坂:私語もほとんど交わさなかったわよね。「おはようございます」「おつかれさまでした」くらいよね。
風間:実は、慶子さんとの思い出がひとつだけあるんです。ヤスのボロアパートのシーンで、平田くんの足を見た慶子さんが「平田さんってきれいな足をしていらっしゃるのね」っておっしゃったんですよ。たしかに平田くんの足は指が細くて長くて、それに比べて僕は甲高で幅広足だから、「平田、足褒められて羨ましいな」って思ったんです(笑)。
平田:そんなことがあったんだ!うれしいなあ。今でもうれしい!