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孤城閉~仁宗、その愛と大義~

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孤城閉~仁宗、その愛と大義~ NEWS|衛星劇場

[NEW]・2022/10/1 2022年11月22日(火)アンコール一挙放送スタート!

・2021/11/5 コラムの内容を追加しました。

・2021/10/4 コラムの内容を追加しました。

・2021/9/6 勢力図、相関図、コラムの内容を追加しました。

・2021/9/2 <視聴者プレゼント> おウチで楽しむ中華グルメセットを抽選で5名様にプレゼント!〔応募締切:2021年10月4日(月)〕

・2021/8/26 <終了しました><Twitterプレゼント>中華粥3点セットを3名様にプレゼント!〔応募締切 2021/8/29(日)23:59〕

・2021/8/26 「孤城閉~仁宗、その愛と大義~」特設ページ公開!

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INTRODUCTION | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

「明蘭~才媛の春~」の制作会社・監督が贈る感動の歴史大作ドラマ!北宋第4代皇帝・仁宗の功績と愛憎、取り巻く人々の運命を描く!INTRODUCTION | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

POINT1

北宋第四代皇帝・仁宗の内面に迫った高品質歴史大作ドラマ | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

大ヒットドラマ「琅琊榜ろうやぼう~麒麟の才子、風雲起こす~」を手掛けた制作会社・東陽正午陽光影視が、制作費4億元(約61億円)を投じて作り上げた歴史大作ドラマがついに日本上陸。女性作家・米蘭Ladyのベストセラー小説『孤城閉』(豆瓣レビューサイトでは8.6の高評価!)を原作とし、一人の人間としての北宋第4代皇帝・仁宗(じんそう)に焦点を当ててドラマ化した本作は、中国で放送されるや周到な脚本から高レベルな俳優陣の演技、見事な宋代服飾品の再現度に至るまで大きな話題を呼んだ。

POINT2

ワン・カイ5年ぶり時代劇出演で話題!せつない思い演じた若手・新人にも高評価続々! | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

主演は大ヒットドラマ「琅琊榜ろうやぼう」で靖王を演じ人気を集めた王凱(ワン・カイ)で、約5年ぶりとなる古装時代劇出演で話題を呼んだ。歴史上最も高い品性を備えた皇帝とされる仁宗の思慮深く温和で善良な姿だけでなく、内面の苦悩も見事に表現している。また、曹皇后役の江疏影(ジャン・シューイン)はドラマ「最高の元カレ」でジェリー・イェンの相手役を務めた美人女優。皇帝への深い思いを秘め気丈にふるまう皇后を口数少なく演じて、抜群の存在感を見せている。また、物語後半では若手・新人俳優のみずみずしい演技も見どころ。任敏(レン・ミン)はどこか幼さの残る丸顔で仁宗の娘・徽柔の奔放さ、一途さを熱演、第27回上海テレビフェスティバル(上海電視節)白玉蘭賞の助演女優賞にノミネートされた。また、辺程(ベン・チェン) は撮影当時14歳という若さだったが、徽柔と強い絆で結ばれている梁懐吉を、ドラマの最初から最後まで交代なしに演じきった。

POINT3

味わい深い演出・映像美、ゆったりしたドラマの流れに浸りたい | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

中国のハリウッドとも呼ばれる世界最大の映画スタジオ、横店影視城の広大なオープンセットで撮影された映像は圧巻!「明蘭~才媛の春~」(2019)などを監督し映像美に定評ある張開宙(ジャン・カイジョウ)が、その持ち味を遺憾なく発揮している。物語は落ち着いたテンポで進み、後宮や宮廷ドラマによく見られるドロドロとした女性バトルは登場しないが、短い言葉やちょっとしたしぐさに込められた女性たちの愛や嫉妬、哀しみが画面から伝わってくる。「明蘭~才媛の春~」でも多用された、人物にピントが合い背景がぼやける、いわゆる被写界深度の浅い画面と顔の陰影を強調する照明効果を組み合わせて表情を際立たせる技法や、ロングショットで広い空間にたたずむ人物を捉えて孤独感を表現するカメラワークが、俳優の演技をさらに味わい深いものにしている。

POINT4

本物感抜群の「服化道」に魅了される視聴者続出! | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

中国で放送が始まるとすぐに注目が集まったのが「服化道(衣装、メーク、小道具)」の素晴らしさ。宋代の服飾文化を研究し忠実に再現した衣装は、落ち着いた色合いや材質の本物感が半端ない!仁宗が平時にまとう衣服は一見質素だが高級感、重量感があり、衣擦れの音も伝わってくるよう。曹皇后のメークも唐代の派手なものではなく、宋代の端正で品のある化粧を意識しており、凛としたたたずまいを引き立てている。さらに、室内の装飾品や食事シーンで登場する料理、食器も見逃せない。博物館で見るような宋磁が食卓に並び、注がれた葡萄酒が玉杯に透ける様子からは、当時の皇帝がいかに質の高い生活を送っていたかが感じられる。

STORY | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

唐の滅亡から五胡十国時代を経た北宋の時代を舞台に、第4代皇帝・仁宗の皇帝としての功績と、一人の人間としての心の動きを丁寧に描く!STORY | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

北宋の皇帝・趙禎ちょうてい(後の仁宗じんそう)〈ワン・カイ〉は自分を育ててくれた太后の劉娥りゅうがが生みの親ではなく、生母は太后の婢女を務めていた李蘭恵りらんけいだったと知る。申し訳ない思いと李家への恩返しから、趙禎は愛娘の徽柔きじゅう〈レン・ミン〉を、李家の子孫・李瑋りうぇいに嫁がせる。朝廷では慶暦の新政をめぐり、大臣たちが激しく対立していた。

STORY - 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

趙禎はその狭間で公正中立を旨に各派の調整を図りながら治世に努めていた。徽柔には幼馴染みの内侍・懐吉ふぁいじ〈ビエン・チェン〉という思いを寄せる男性がおり、趣味も性格も合わない朴訥として平凡な李瑋をどうしても好きになれずにいた。ついに嫁ぎ先を飛び出し、宮廷に出戻ってしまうが、それは社会規範を犯す大罪だけでは収まらず、趙禎の国政を揺るがす一大騒動に発展する。風雲急を告げる天下の行方、そして徽柔が辿った壮絶な運命とは…。

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勢力図 | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

STORY - 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

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年表 | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

年表 - 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

CAST | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

人物相関図 - CAST | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

趙禎/宋仁宗役 ワン・カイ(王凱) - CAST | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

曹皇后役 ジャン・シューイン(江疏影) - CAST | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

趙徽柔役 レン・ミン(任敏) - CAST | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

梁懐吉役 ビエン・チェン(辺程) - CAST | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

COLUMN | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

COLUMN 1. 北宋とは?

北宋とはどんな王朝?経済・文化が発達、対外的には平和政策 | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

唐が滅亡すると中国は五代十国の戦乱の時代に入ったが、五代の最後の王朝・後周の殿前都点検(近衛軍長官)だった趙匡胤は960年に部下に擁立されて宋を建てる。第2代皇帝・太宗の時代に統一を成し遂げた宋は、1127年に北方の金に都・開封を追われて滅亡するまで続く。その後、南方に逃れた皇族が再興した南宋と区別してそれ以前を北宋と呼ぶ。
北宋は軍閥や貴族の力を削ぎ、科挙制度の整備によって多数採用した有能な文人官僚による政治(文治主義)を行った。このため軍事的には成果が乏しく、唐に比べると領土も狭かったが、文化面や経済面で大きな発展が見られた。
文治主義を背景にした「重文軽武(武芸より学問を重んじる)」の気風の下、北宋では学問が盛んになった。文学や芸術の分野では、主体が唐代の貴族から士大夫(知識階級)や庶民に移り、形式美にとらわれず新しいものを取り入れる動きが広がった。本作にも晏殊や欧陽修など、有能な政治家であると同時に優れた文人や学者でもあった人物が登場し、その詩詞が効果的に使われている。

COLUMN 1 キャプチャ | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

経済面では、稲作や製鉄技術の進歩などで生産力が向上し、人々の暮らしが豊かになった。商業も盛んになり貨幣経済が発達、仁宗の時代には世界初の紙幣「交子」も発行された。また、学問重視の気風などもあり木版印刷技術が進歩、実用書や詩文集なども出版されるようになった。工芸品も発達し、景徳鎮に代表される宋磁は広く海外に輸出された。経済の発展に伴って首都・開封は当時としては世界最大の都市に発展。通りには商店や屋台が並んで夜までにぎわい、富裕層だけでなく庶民も芝居や音楽を楽しむようになった。開封のにぎわいは名画「清明上河図」にも描かれている。
一方、文治主義の下で軍事力は相対的に脆弱で、周辺の異民族国家、政権には弱腰な政策で対応。遼や金には歳幣を贈って懐柔したが、この資金を確保するための重税が庶民を苦しめた。
なお、北宋時代の日本は平安時代中期、摂関政治の時代に当たる。正式な国交はなかったが民間で交易が行われ、陶磁器、絹織物などが日本に持ち込まれた。その後、南宋の時代には日宋貿易が盛んになり宋銭が流入、日本の貨幣経済の発展につながった。

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COLUMN 2. 仁宗とは?

庶民も愛した名君、心には深い悩み | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

仁宗(趙禎)は北宋第4代皇帝で、英邁な君主として知られる。父・真宗の崩御に伴い1022年に幼少で即位。嫡母の章献明粛皇后・劉氏による垂簾聴政の期間を経て1033年から親政を開始した。北宋の皇帝として最長となる42年の在位期間中に、内政・外交を安定させ、政治・社会体制整備や経済発展に力を注ぐ政策を多数打ち出した。この結果、科学技術や貨幣経済が発達、生産力が大きく伸びたことで人口も大幅に増加、国勢が頂点を極めたこの時代は「慶暦の治」と呼ばれる。
特に大きな政治的功績とされるのが有能な人材の登用。范仲淹、欧陽脩、包拯ら多数の優れた政治家、清廉な官吏を輩出した。さらに、登用した官僚たちから広く諫言を受け入れたことでも知られている。ドラマにも登場するが、包拯が朝廷で三司である張尭佐を解任するよう主張した際、熱弁をふるうあまり唾が仁宗の顔にかかったが、仁宗はそででぬぐっただけで話を聞き続けたという。また、蘇轍が科挙の際に仁宗を猛烈に批判する文章を書いた時も、怒るどころか「この若者は将来宰相になる器だ」と評価した。これを受けて、士大夫を中心に闊達な文化が花開き多くの文人が登場した。唐宋八大家のうち唐代の2人を除く6人はいずれも仁宗の時期に現れている。

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一方、個人としてはさまざまな苦悩を抱えていた。即位は早かったが、皇太后の垂簾聴政のため長い間手腕を振るうことができず鬱々とした時期を過ごした。また、実母が誰かを知らされなかったことは大きな心の傷になり、特別な親子の情を持つようになった。男の子がことごとく夭折したこともあり長女の福康公主を溺愛、仁宗が一度だけ大臣たちと衝突したのは、この愛娘を巡る問題だった。
嗣子がないまま崩御したためおいの英宗が後を継いだが、皇帝の死後に贈られる廟号に「仁」の字が用いられたことは歴代の統一王朝で前例がなく、その人徳がどれほど高く評価されていたかを示している。清の最盛期を創出した乾隆帝は、最も敬服する歴代3人の皇帝として、祖父の康熙帝、唐の太宗・李世民と共に仁宗の名を挙げている。
穏やかで人徳に満ち、それでいて皇帝としての威厳を失わなかった仁宗は、広く庶民に愛されており、崩御の際には人々が宮門に押し寄せて紙銭を燃やしたため、開封は煙に包まれ日の光も届かなくなったという。また、敵対する遼でも皇帝から市井の人々までが大いに悲しんだと伝えられている。

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COLUMN 3. 仁宗を支えた文人官僚

政治と文学に才能発揮、日本への影響も | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

文治主義を採用した北宋では士大夫文化が花開き、政治家として有能なだけでなく文章や詩詞にも優れた人物が多数出現した。本作では、そうした人物が相次いで登場、文学作品も効果的に使われ、中国で大きな話題を呼んだ。代表的な人物を何人かご紹介したい。
晏殊は神童と呼ばれ、科挙の特別試験に合格して15歳で進士になった。その後、博識と誠実な人柄を認めた真宗によって、太子(後の仁宗)の家庭教師に任じられた。政治家としての生涯には浮き沈みもあったが、人材発掘力に優れ、門下には范仲淹や王安石がいる。また詩文、特に詞に傑作が多く、詞集『珠玉詞』が現在まで伝わる。質素な生活を好む穏やかな気性の人物だったが、歴史書にはかんしゃくを起こして従者に暴力をふるい処分を受けたことが記されている。ドラマではこの行動の裏に深い意味があったとの解釈を加えており、なるほどとうならされる。
理想に燃え科挙を目指す若者として登場してくる韓琦は、3代の皇帝に仕えた政治家で、文武に功績を上げて宰相にまでなった。仁宗の時代には改革推進者の一人として北宋の発展に寄与した。詩人・文学者としても知られ、『安陽集』などの作品を残している。若くして科挙に傍眼(第2位)で合格するほど優秀だっただけでなく、美男子だったとも伝えられ、ドラマでも科挙合格の場面で容貌に関するエピソードが挿入されている。

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郭皇后の廃后を巡って呂夷簡と衝突する范仲淹は、宋代士大夫の代表とされる人物。晏殊の推薦で秘閣校理となり、仁宗に抜擢されたが、実務派官僚らと対立してたびたび地方に左遷された。詩のほか散文に優れ、湖南省に左遷されていた時に書いた『岳陽楼記』は特に有名。この中で天下を背負う気概を表した「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみの後に楽しむ」の言葉は、日本三名園の一つ「後楽園」の名の由来にもなっている。
科挙で晏殊が高く評価したものの劉太后に嫌われ下位での合格となる場面が印象深い欧陽脩は、その後諌官に任じられ改革を推進するなど活躍した。唐宋八大家の一人とされる名文家で、古文復興運動を推進したほか、歴史家として『新唐書』『五代史記』を著し、さらに金石学に大きな貢献をしたことでも知られる。日本刀を賛美する一方で失われた中国文化への思いをつづった詩「日本刀歌」は、中国人の日本観や日本人の歴史観に影響を与えたとされる。
ほかにも蘇舜欽(蘇子美)、蘇軾(蘇東坡)など、政治家で文学者でもあった著名人物が登場してくる。日本人にとって、ドラマの進行と同時に詩文を鑑賞するのは難易度が高いが、気になる詩や言葉があれば書き留めておき、後から調べても楽しいのでは。

COLUMN 4. 北宋の宦官たち

他王朝より地味な存在、賢者や勇猛な武将も出現 | 孤城閉~仁宗、その愛と大義~|衛星劇場

宦官とは近代以前の中国に存在した、去勢を施された官吏。皇帝や後宮の女性たちの身辺に仕え、皇帝の秘書業務から宮廷内の料理や物品の管理、清掃に至るまで、さまざまな仕事をこなした。常に皇帝らのそばにいるため、重要な秘密に通じることも多く、外戚や権臣と結託し国政に影響を与えることも多かった。後漢や唐では王朝の滅亡に深く関係し、明代には集団的な勢力を形成して官僚を凌駕、魏忠賢のように自らを「九千歳」(皇帝の「万歳」より千歳少ない)と呼ばせるほど専横を極める者も登場した。それらに比べると、宋代の宦官は比較的地味な存在で、皇位継承問題などで影がちらつくものの、末期を除いてそれほど大きな害を及ぼすことはなかった。
北宋の宦官は官位こそ低いものの俸給が良いため、貧しく生活に苦しむ人々の目には魅力的な栄達の道と映り、志望者が後を絶たなかった。しかし、去勢には命の危険があり、採用されるには若く容姿端麗、利発であることが求められた。採用後は内侍省に所属し皇帝や大臣たちの執務場所で勤務するか、入内内侍省に所属し後宮で皇帝や皇后、皇女らの世話や雑務を担当した。このため、ドラマにあるように宦官個人のことも「内侍」と呼ばれた。内侍省では都知が最も官位が高く、入内内侍省ではその上に都都知が置かれた。本作で重要な役割を演じる張茂則も実在の宦官で、下っ端の小黄門から次第に出世、水害対策などで功績を上げ、最終的には最高位の両省都都知にまでなった(死後に安化軍節度使を追贈された)。清廉な人物として知られ、深夜に仁宋に呼ばれた際には、疑惑を招かぬよう入り口を開けたままにさせていたという。79歳で亡くなるまで4人の皇帝に仕えたが、与えられる食糧が多すぎると言ってたびたび辞退するなど質素な生活を貫き、宦官の賢者とされた。
北宋では軍隊を監督する役に宦官を配置することがあり、軍事面で功績を上げる宦官もいた。太宗、真宗に重用された秦翰は勇猛な武将としても知られ、度重なる戦いにより全身には49カ所の傷を負っていたという。また、北宋末に登場した童貫は徽宗に信任され禁軍の最高指揮官を務めた。20年にわたり兵権を掌握、方臘の乱を平定するなどの軍功を上げた一方で、宰相の蔡京と結託して私腹を肥やした。このため、小説『水滸伝』では大悪人として描かれている。
ところで宦官は、去勢はしているものの恋愛感情まで失われているわけではない。ドラマでは梁懐吉や張茂則が持つ深い苦悩を描くことで、この点にも触れている。

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